• 2011.12.18 Sunday
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阪神淡路大震災から16年が経ちました。

1年前の今日、新聞の朝刊で偶然見つけた記事があります。

震災で亡くなった友人、H君の記事です。


H君は小学校からの同級生で、仲間数人で基地を作ったり、ちょっとしたいたずらをしたり、けんかをしたり、俗にいうヤンチャ坊主で、よく一緒に遊んでいたのですが、高校を卒業してしばらくしたあたりから徐々に疎遠になり、偶然町で会った時に話す程度になっていました。

それから数年後、震災がありました。

僕が住んでいる地域はほとんどの建物が倒壊し、近くの工場では、火事のため爆発音が1日中鳴り響いているような状態で、昨日まであたりまえだった日常が一瞬でなくなりました。

自宅は全壊しましたが、幸い家族や親戚は無事だったので、震災当日は、瓦礫の中に取り残された多くの人を、近所の人たちと協力して助け出す作業に追われていました。

翌日、H君が亡くなったらしいと聞きました。

震災直後の混乱の中では、H君の詳しい状況を知る人は誰もおらず、友人達もH君とは疎遠になっていたこともあり、一人で亡くなったんかなとか、最後はどうやったんかなと話していると、悲しいというよりも大きな空しさがありました。

あれから長い時間が流れ、H君のことは震災の日が近づいた時に思い出すまでになっていましたが、ちょうど1年前のこの日の朝、なんとなく新聞を見ていたら、22歳のH君の姿がありました。

正確に言うと、22歳のH君が写った1枚の写真を持った、2人の女性が載っていました。

H君は震災の直前に若くして結婚していたのです。


その記事には、震災当時、奥さんのおなかの中には赤ちゃんがいたと書いてありました。

その赤ちゃんが中学生になり、H君の写真を手に、お母さんと一緒に笑っている。

H君は家庭を築き、幸せに暮らした。決して一人寂しい最後ではなかった。

H君は震災の前日まで奥さんと一緒に家にいたのですが、風邪を引いてしまい、うつしてはいけないので奥さんを実家に帰らせたそうです。



地震が来る事は誰にもわからない。

でもH君は本能的にそうしたのかもしれません。

次の世代に繋げる為に。

H君の命のバトンはしっかりと渡っています。



毎年くる震災の日の新聞で見た、嬉しい知らせです。










 kuramotyです。


15年。


早いなあ。


10年目や15年目というのは、何かを切り替えていく節目の年なのかもしれません。


でも、震災を経験した人々にとっては、数字的にはきりのいい節目であっても、特別何かを考えたり、考えなかったりすることはなく、15年目も16年目も、たとえ30数年目だとしても、この日に対する思いは同じだろうなと思っています。




去年のこの日のブログにも書いたのですが、
この日は僕にとって、決意と再確認の日です。




家の設計に関わるには覚悟がいる。



建築士は、ほとんどの人が一生に一度するかしないかの、「家を建てる」という大きな決断に関わる仕事です。



開放的な家。

広いリビングの家。

大きな吹抜けのある家。

ホームシアターのある家。

趣味に特化した家。

収納の多い家。

大きなテラスがある家。

あたたかな家。



それぞれの人に夢や希望があり、それを形にする仕事です。




その「夢や希望のカタマリ」が、人々の全てを奪うことは決してあってはならない。




家は「家族の命と財産を守ってくれるもの」です。



それには、構造計算に基づき構造的にしっかりとした設計ができている事、その図面通りに実際の家が施工されている事、が重要です。



今日は決意と再確認の日です。



それぞれの人の夢や希望を形にする仕事に携われている事に感謝しつつ、
これからも覚悟をもって設計活動を行っていきます。





kuramotyです




阪神淡路大震災から14年です。


決して忘れてはいけないし、忘れる事のできない日。


幸いにも家族はみな無事でしたが、自宅は全壊し、


周囲で倒壊していないのは2件だけという凄まじい状況。


倒壊家屋の多くは、手抜き工事によるものだったそうです。







当時はまだ学生で、講義の中で先生が言っていた言葉があります。


「家は家族の命と財産を守ってくれるもの」


当たり前のことだと思っていたが、


当たり前のことさえ叶わなかった。







僕にとってこの日は、決意と再確認の日です。







「家族の命と財産を守ってくれる家」をつくる







震災を経験した神戸で住宅の設計に携わる者としての、


6434人に対する責任です。






kuramotyです




14回目のルミナリエが終わりました。




最近のルミナリエにはちょっと思う所がある。


始まりは阪神淡路大震災の鎮魂と復興を祈る希望の光だ。


今もその趣旨は変わっていないけど少しづつ薄れている。


観光イベントとしてもクローズアップされ、期間中は全国から多くの人々が集まってくる。


多くの人々が集まるのは大歓迎。


でもその人たちに光の意味を伝えきれておらず、冬の単なるイルミネーションイベントの一つになってしまった。


昨年から「慰霊と復興のモニュメント」を夜間解放したが、人もまばらで
その存在すら知らない人も多い。






確かに神戸の街はきれいになった。


神戸は復興し、震災は過去のものとなったのか。







建築家の安藤忠雄さんは、


「復興とは、雇用がしっかりあること。そのために市民と行政が力を合わせ、日本中から神戸に来たいと思ってもらえる街にしないといけない。」


とおっしゃっていました。




そういう意味では神戸はまだまだ復興途上だと思う。




「鎮魂の灯」と「集客できる観光イベント」との両立は今後の課題だが、もう一度初心に帰るというか、光の意味を考えたい。






ライフラインが切断されたことによる物理的な闇、先がみえない精神的な闇を同時に体験した人たちは、光の意味や尊さ、闇があって光があること。また光は闇を必ず照らしてくれるということを知っている。



震災の年に行われた第1回目のルミナリエでは、点灯した瞬間大歓声があがり、その直後静寂につつまれた。


光につつまれ、皆泣いていたのを覚えている。











ルミナリエの光は、あの日突然に人生の残り時間をゼロにされた人たちの鎮魂と、復興を祈る人たちの希望の光です。



沈んだ気持ちで下ばかり見ていた人たちに、上を見上げて下さいとの意味もある。



神戸はまだまだ復興途上。遠くを目指すには光がいる。ルミナリエの光は、震災から復興へと立ち上がった人々の足下を照らす灯になると思えて仕方がない。



資金不足で開催が毎年のように危ぶまれているが、安定した存続を目指し、「鎮魂の灯」と「集客できる観光イベント」との両立とは何かを考えていかなければならない。






神戸ルミナリエについて改めて考えた一日でした。










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